野地木材工業株式会社

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スタッフブログ

熊野の森の文化

皆さんこんにちは。
去年の今頃は「ヒマだ。ヒマ。ヒーマ。」と言う声があちことの同業者から聞こえていましたが、最近は「あー忙しい。でも丸太が高い。めちゃ高い。あー高い。」という叫びが聞こえます。
つまり、どっち転んでもうまいこといかないよーなのです。
滞りがちのブログ読んでくれてありがとうございます。
のぶたかです。
先日、『熊野の森の文化について学ぶツアー』に、妻と息子を連れて参加しました。
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実は私は林業について、山に入って勉強した事があまりない。
こと、熊野の森の文化なんてのは、全然知らない。
ずーっと製材、加工、建築の事は見て、体験して勉強してきたが、川上である山についてはあまり触れてこなかった。機会もなかったし。
今回、このイベント企画した方から、お手伝いして欲しいとオファーを頂いたので、参加させて頂く事ができたんです。
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案内してくれたのは尾中鋼治氏。今年82歳です。
右側が、今回イベントに誘ってくれた山崎さん。
尾中さんの育てた森を案内しながら、尾中さんの林業の考え方や、木の説明をしてくれました。
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尾中さんの話しの面白さには脱帽。
林業の面白さを伝えるポイントを押さえてて、それをわかりやすく説明するセンスには本当に驚きます。
山の説明をしてもらった後は、昔ながらの木挽き体験。
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木挽き歌を歌いながら、昔ながらの製材を体験しました。

なんでも、尾中さんの森があるこの熊野市五郷町という地域は、江戸〜明治時代にかけては、木挽き職人が人口の8割を占めてたとのこと。
農業と兼業でやってたらしく、この辺の方々は、収入は当時の平均賃金の1.5倍以上はあったそうである。

明治20年頃、隣町に初めての機械製材所が建つとのことで、大きな住民反対運動が起こったそうである。
その後は、当然木挽き職人は消えて行ったそうで。
現代では、大型製材工場増加やバイオマス発電所の建設などの、林業・製材文化の変化が起こっています。
善し悪しは別として、変化が起きている。林業にしては久々に大きく。
過去の歴史を知る事で、今後の変化にどう対応するべきか、いろいろと深く考えさせられます。
続いて、「かるこ」という木の棒とロープだけで作った道具のみで、木を登っていく技術を披露頂きました。
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まー素晴らしい技術と身のこなしです。
とてもとても82歳とは思えない。
感動しました。本当に感動しました。
そんな尾中さんが、案内してくれる中で、ポロッと言った一言が
とても印象に残りました。
「私らの思う、ええ木が価値として認められにくくなってきたことが、とても残念だ。」と。
夢を膨らませて数十年も前から育ててきて、ようやく育った今、価値を感じもらえなくなった。
何が悪かったのだろう。
林業に何が欠けていたのだろう。
悪かった事、欠けていた事があるのなら、そこは改善していけばいい。
だけど、気の遠くなる時間をかけてきたこの森が壊れて行くのは、そんなに時間がかかることではない。
そして、壊れると元に戻すまでにまた途方もない時間がかかる。
それを考えると、とんでもなく大事なものを失いつつあるのではないかと不安になってきた。
林業に対して私は「ちょっと情緒的に考えすぎでは?」と思ってたふしがあったが、とんでもない。
情緒的になるのは当たり前なのだ。感情がとても入るのは当たり前なのだ。
それだけのものが、価値があるのだという大きな気づきを得ました。
この素晴らしい森の価値を活かせるのは、僕らしかいない。
いや、僕らは活かさないといけない。活かし、残して行く事が使命だと思いました。
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森の中でキャッキャと楽しそうにはしゃぐ妻と息子を見て、
これをもっともっとたくさんの人に伝えねばーと、大きな責任を感じた素晴らしい日でした。
尾中さん、山崎さん本当にありがとう!!
今後ともよろしくお願いします。
がんばります!!